![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
MENU
ラッキーを迎える前にログハウス{ Lucky's House } を作りました。(左下写真)
埼玉県川口のボランティアのお宅から千葉県大網白里市まで、ラッキーは大きなケージの中に入り、
自動車で約2時間の長旅。
「もうすぐ我が家だぞ、ラッキー!」
我が家に着いて、私が車のハッチを開けて、ケージに手を掛けると、今までおとなしかったラッキーが
私の方を向いて低い声で唸っている。私はケージの扉を開けるのをためらっていた。
すると私の妻が、「長い間、よその家に飼われていて、今朝までボランティアの親切な女性の方に面倒をみてもらっていたのだから、
仕方ないでしょ!」と言った。 その後、妻がケージに近寄ると、ラッキーは安心した表情で尻尾を振っていた。 そして、妻がケージを開け、ラッキーを車から降ろして、
妻と一緒に玄関の階段を駆け上って庭へ向かって行った。
「ラッキーは男の人が苦手なのかなァ・・・?」と思った。
ラッキーはすぐに「Lucky's House」入って、ひと安心した様子だった。妻がラッキーのそばに行くと、
愛嬌を振りまいて、身体全体で大きな尻尾を振っていた。 ラッキーはボランティアの方の家に来る前は、
ほとんど昼夜一人ぼっちで暮らしていたので、寂しさを抱えながら、じっと我慢していたんだろうな。
そして私もラッキーの傍に近づいてみると、私を見て唸ることなく、嬉しそうな表情だった。 私は低い姿勢をとり、そっと頭を撫でてみた。 大丈夫だった。実際、成犬の子と仲良しになるのは、かなりの時間を要するものだ。 焦らずに、 少しずつラッキーと仲良しになろうとと思った。
夕方になってラッキーの食事の時間になった。 ボランティアの方から頂いたペティグリーチャムを食器に入れていると、
ラッキーは目の前で、お座りをして、前足をもじもじさせながら、口からよだれが一杯に溢れ出て待っていた。
「ラッキー・・・、よし!」の声と共に大きな口でバクバクと数十秒で食べてしまった。
ラッキーは食べるのがとても早かったが、「待て・・・!」という指示もきちんと理解していた。
さすがに国際公認血統証付きの子だ。 この子ならきっと慣れるのも早い気がする。
辺りはうす暗くなってきたので、私は家の中に入り、一杯始めてた。 すると、外でラッキーがクンクン泣いている声が聞こえたので、
玄関から庭に出てみた。 すると、ラッキーの首輪に繋いであるリードが、支柱に絡まっていた。
「ラッキー、ゴメン、ゴメン」と言いながら傍に近づいてリードに手を掛けた瞬間、ラッキーが唸り、私の左腕の
上部をガブリと噛みついてきた! 「痛い!」 噛みついた口を放さずに襲い掛かってきそうだったので、
私は藁尾も掴む思いで、反対の手で傍にある植木を掴んだ。植木につかまって、やっとのことでラッキーから離れることができた。
ラッキーの体重は約38kg、立ち上がると私の胸のあたりまで届く程の大型犬である。
噛まれた所から血が流れていた。生憎、右手で掴んだ木は、柚子の木であったため、鋭いトゲで右手からも出血していた。
絡んでいる鎖は外れ、ラッキーはハウスに戻って、何もなかったように座ってこちらを見ていた。
その後、私は無意識のうちに近くにあった棒を握っていたのだ。 ラッキーは我が家に来て初めての夜だったので、怖かった
という気持ちは分かっていた。
丁度その時、私の妻が玄関から出てきた。私の姿を見て事の次第が分かったのか、
「そんな棒を持ってどうするの?」
私は「いや、別に・・・?」と言いながら棒を地面に置いた。私はその後、
怖くてラッキーの傍には近づけなかった。私の左腕上部にはラッキーの歯跡がしっかりと残った。
{・・・・ラッキーとの楽しい生活が終わってからは、 私にとって、その歯跡は決して消えて欲しくないラッキーと私のシンボルなのだ。 ラッキーが亡くなって13年経った今は、残念ながらもうほとんど残っていない・・・・}
その晩、私は家族に「大型犬のラッキーは、危険だ。 もし、子供が襲われたらひとたまりもない。
動物ボランティアの方に相談して、返そうか?」と言った。 私の家は、私、妻と二人の男の子(小学生)の4人家族だ。
私の問いかけに対して誰一人、口を開かず、沈黙が続いた。暫くして、小学生の長男が、勇気を出して、
「お父さん、ラッキーを幸せにしてあげると約束したんでしょ。今更、返すなんて、無責任だよ。」と言った。
私以外の他の者も、それに同意する表情を浮かべていた。確かに息子の言う通りだ。私は恥ずかしい思いを隠せなかった。
確かに、飼い主が変わって、車でこんな遠くに連れてこられたのだから、ラッキーは寂しくて怯えていたに違いない。
これからラッキーと少しづつ信頼関係を築くことが肝要である。
ラッキーはその時、五歳四ヶ月で、人間の年齢で考えると三十五歳前後である。
私は、我が家の一員として、ラッキーを幸せにしてあげることが出来るかどうか、一抹の不安があった。
こうして、5人家族の生活が始まったが、私は数日間はラッキーの傍に近づけなかった。
暫くの間、妻がラッキーの面倒を見ることになった。私は、その後数日間はラッキーから少し離れたところで
見守っていた。食事や排便の世話は妻が行っていた。ラッキーは妻に対しては、好意的で、従順である。
やはり私は動物には好かれないタイプの人間なのだと思った。
「元々、妻が自分で面倒をみると言って飼うことになったんだから、まあ、これでいいか・・・?」
ラッキーが我が家に来てから6日目の土曜日の朝のことである。私は勇気を出してラッキーに食事を与えてみようと
思った。 すると、ラッキーはとても嬉しそうな顔で私を見ていた。人懐こくて、愛嬌のある表情だった。
缶詰を開け、食器に入れてラッキーの前に置くと、あっという間に食べて、水をガブガブと飲んだ。
食事が済んで、ラッキーは家の辺りを見渡しながら、私に対して「 散歩に行こうよ、お父さん!!」
と誘っているように思われた。愛らしい目で私を見つめていた。私はラッキーの表情につられて、
傍に近寄って頭をそっと撫でた。ラッキーは私の顔を見上げて、「ウレシイヨ、もっと撫でて・・・」と、
ラッキーは言葉こそ話せないが、気持ちが伝わってきた。
「我が家に来てから一度も外の散歩に行ってないよな。ボランティアの方から頂いた赤い立派なリードを使ってみよう。」
私はすぐに準備を済ませて、「ラッキー、散歩に行こう!」と言った。
ラッキーの鎖に手を掛ける時、一抹の不安もあったが、ラッキーはその時は、とても嬉しそうだった。
きっと、その赤いリードはボランティアの方がラッキーと散歩に行く時に使っていたものだから、
ラッキーは安心できたのだと思う。
まずは、初めての散歩なので、家の周辺を少し、歩いてみることにした。庭先から玄関の階段を下りていく際、 ラッキーは途中で止まってこちらの様子を窺っていた。リードを引っ張らず、私の歩調を気にかけながら歩くことが出来るのだ。 「待て」という言葉にもきちんと反応できる。 「想像していた以上に利口な犬だな。」 「ラッキー, ゴー!」 と言うと、一緒に歩き始めた。歩行者は右側通行なので、私の右横をゆっくりと歩かせることにした。 家の傍の道路を歩きながら、試しに色々な指示を出してみた。 さすが血統書付の従順な犬だ。しっかりと指示を聴き分け、行動に移すことが出来る。正直言って、ラッキーに対する不安は 残っていたが、ラッキーに近づくことができ、今は一緒に散歩している。私は何か幸せな気分であった。 その後、約二十分ほど家の周囲を歩いて、家に戻った。動物ボランティアさんの手紙に書かれていた通り、 基本的な躾「マテ」、「ゴー」、「ユックリ」、はきちんと出来て、素晴らしい犬だ。 これから毎日、散歩の距離を少しずつ伸ばそうと思った。
午後三時頃になって、ラッキーの様子をそっと見に行った。ラッキーはハウスのそばにある縁側の上でで横になって、
手足を真直ぐに伸ばして寝ていた。ハウスに近づくと、ラッキーはすぐに気が付き、起き上がって私の足元でちゃっかりと座った。
私もしゃがんで、座ってみると、ラッキーは待ちきれない表情で、右手を私の腕に掛けて、
「お父さん、遊んで!」とせがんできた。「よしッ、散歩に行こう!」
と声をかけると、もう待ちきれない様子で、愛嬌を振り舞いていた。 今日からは排便用のビニール袋と小スコップを
ウエストポーチに入れて持っていくことにした。
すぐに赤いリードに付け替えると、ラッキーはとても嬉しそうであった。今日の散歩は、自宅の近くにある大通りを渡って、
大きな田んぼを一周する、所要時間40分程度を予定している。大通り以外は、比較的自動車の通行が少ないので、
絶好の散歩コースだと思う。 ラッキーの様子もよく分らないので、ゆっくり歩いていこうと思った。
なるべく、リードは短く持ち、私の右横を歩かせようと思ったが、ラッキーはどうも先へと急いで進みたい様子であった。
[ラッキー、ユックリ・・・!」 大通りを渡ってから、早々に田んぼの際で排便を始めた。
どうやら、排便をしたかったようだ。汚物をスコップで取り、ビニール袋に納めた。
その後は私の右側をゆっくりと歩いてくれた。
正面から子犬を連れた婦人がこちらに向かって歩いてきた。 すれ違う際、その子犬がラッキーに吠えてきた。
ラッキーもそれに同調して、吠えてリードを思いっきり引っ張って、向かって行こうとしたので、
私は全身の力でなんとか抑えた。相手の婦人も驚いた様子だった。ラッキーは大型犬なので引く力もかなり強い。
その時は、「マテ」という指示は効かなかった。
「どうも申し訳ございません。」とお詫びをして立ち去った。
今日は天気もよく、ポカポカ陽気で、ラッキーは散歩中、時々私の顔を見上げながら、
「お父さん、お散歩、楽しいよ。」と満面の笑みを浮かべて話しかけているようだ。
暫らく歩いていると、道端にティッシュペーパーが丸めて捨ててあった。 私が気付く間もなく、
ラッキーはパクリと口の中に入れて飲み込んでしまった。
ラッキーと一緒に歩いていると、通りがかりの人達がラッキーに声をかけてくれた。
こうして、初めてのラッキーとの散歩が始まった。
本日はラッキーの事についてお話ししたいと思います。ラッキーに出会ってもう二週間位になりますが、 大分仲良しになる事ができました。彼は大人しく寂しげな犬という印象を持っていましたが、 一昨日から少しずつお散歩をするようになってから、一寸考えが変わりました。結構、社交的でお茶目な面もあるようです。 もっと早くお散歩に行きたかったのですが、犬の専門家の方達が「いくら変な飼い主でも犬にとっては信頼している ご主人様なので、他人が連れ出すことは犬にとって不安に感じることなので、最初の何回かは元の飼い主と一緒に 散歩しなさい」と助言して下さいました。 私も大きい犬には慣れているとは言え、ラッキーがどんな反応を示すか不安でしたので、 元の飼い主さんについて来て下さる様にお願いをしておりましたが、その願いが叶ったのが一昨日でした。 100メートル程 ご一緒して頂き、飼い主さんは先にお帰りになりました。案の定、ラッキーも帰るといって、 結局その日のお散歩はそれで終わりになってしまいました。
その日の夕方からは、私一人でも充分付いてきてくれるようになりました。早くお散歩に行かないと、 お医者様にも連れて行けないと焦っておりましたのでホッとしております。 ラッキーは今まで殆ど散歩をしていなかった為か、すぐに息をハァーハァーといっているので、 少しずつ距離を伸ばしていこうと思っています。私の罹りつけの獣医さんは歩いて三〇分位かかり、 途中、陸橋や交通量の多い道路を横断しなくてはならないため、ラッキーを安心して連れて行けるのは来週の 初めぐらいになると思います。健康診断、検便、フィラリア検査、七種混合ワクチン接種は必ず致しますのでご安心下さい。 只、去勢の手術は、少し慣れてからやって頂いた方が良いと思います。 何故なら、いくらワンちゃんとは言え手術を終えてから30分位かけて歩いて来なければならず、 最近のラッキーの身の回りの変化等で気持ちも複雑になっているでしょうし、彼の気持ちを考えるとあまり一度に行うのは 可哀相な気がするのです。
もう一つがシャンプーですが、私どもで綺麗にしてあげたいと思っています。元の飼い主さんの話によると、
ラッキーはシャンプーが大好きだけど、ドライヤーが大嫌いとのことでした。
元の飼い主さんがやって頂ければ一番良いのですが、協力して頂けません。 ラッキーは性格も素直で一寸甘えん坊なので、
上手く世話をすれば、本当に良い子になると思います。
今まで、スパルタ教育とかで、バット等で叩かれていた様ですが、いじけていない様子です。
オスワリ、マテ、お手、おかわりも出来ます。只、以前バット、ゴルフクラブで叩かれていたので、当分の間、
長い棒のようなものを持ってラッキーに近付かない方が良いと思います。私も暫くラッキーと付き合って
とても可愛くなりました。一日二回会いに行くのですが、恋人に会いに行くような気持ちです。
それだけ別れの時を考えるだけでも涙が出そうです。でもラッキーが幸せになってくれれば何も言うことはありません。
どうぞ、最初は一寸大変かもしれませんが、ラッキーの事、くれぐれも宜しくお願いします。
今迄、あまり幸せでなかった分、これからその分を取り戻せるほど幸せにしてあげて下さい。
平成10年3月19日
6時に起床して、朝の散歩。今日は休日だから少し距離を伸ばしてみることにした。
幸い、家の周囲は田畑や小高い雑木林が多いので、散歩のコース選びには事欠かない。
今日は大きな田んぼの周りを通り抜けて、山のコースを散歩することにした。庭に出てみると、
ラッキーは散歩に行くことを察知しているかのようにお座りをして、ソワソワして待っていた。 赤いリードと手提げバッグを用意して、
水筒とシャベルを入れた。
「ラッキー、山の散歩コースに行こう!」というと、待ちきれない表情で私とリードを見ていた。
ラッキーはそのリードがとても気に入っているようだった。
私は、素早くリードを取り換えて、散歩に出かけた。家から少し離れた大通りに差し掛かった時、「マテ」というと、
すぐに立ち止まることが出来た。時々、ラッキーがリードを引っ張って先を急ぐこともあるが、
「ラッキー、ゆっくり・・・」と言うと、私の横について歩くことができた。
田んぼのあぜ道を約1時間ほど歩いている間、私は時々ラッキーに声を掛けた。 散歩途中は出来るだけ休憩を多く取ることにした。 休憩時は、おやつを少量と、
水を小皿に入れて与えるが、ラッキーはおやつを見た瞬間、すぐにお座りをして前足をもじもじさせながら、
口からよだれがあふれ出てくる。「 よし! 」の合図で一瞬にしておやつを食べ、
大きな音を立てながら水をパクパクと飲み干す。ラッキーは食いしん坊で、食べ物には目がない。なんとも愛らしい光景であった。
雑木林を抜けて、小高い丘の山道を歩いた。ラッキーはアスファルトの道路を歩くよりも、山道を歩く方が好きな感じがした。
山道を40分程度歩いて、山を下りると、我が家から5kmぐらい離れた所に出た。散歩中、ラッキーは時々こちらを向いて笑みを浮かべてくれ、
ラッキーと一緒にいる時間がとても幸せに思えてきた。
これからも朝晩、この幸せなひと時を継続していきたいと思った。
その後、平日の朝の散歩は、30分程度にし、私が仕事から帰ってからは約1時間の散歩を行うようになった。 私が車で仕事から帰ってくると、待ちきれない表情で「お父さん、散歩にいこうよ」と言っているのが分かるようになった。
休日は、朝の散歩は午前8時頃ラッキーの食事を済ませてから出発し、徐々に距離を伸ばしてみた。 帰宅が午前10時から11時になることもしばしばあった。 午後の散歩は午後3時ごろから1時間から2時間程かけて散歩を行った。 朝晩の散歩は毎日欠かさず、雨天でも行くことにした。 たとえ、私が仕事で帰りが遅くなっても、寂しがりやなラッキーと過ごす時間を大切にしたかった。
5月に入って、初めてのシャンプー&トリミングに連れて行った。 車のドアを開けると、ラッキーはすぐに
助手席に飛び乗り、「 早く行こう! 」 と言っているようだった。
ラッキーは車が大好きだと聞いていたが、すぐに飛び乗ってくるとは想像もつかなかった。犬は仲間外れが大嫌いで、
飼い主となら何処へでも行くと本で読んだことがある。
犬のシャンプーを行ってくれるお店は、大網白里市内の森の中にあった。 自宅から歩いても1時間もかからない距離である。
そのお店は愛犬の躾や訓練スクールも行っている。
ラッキーを一人で2時間も預けることが心配だったが、ラッキーは人への同調能力が高く、店員の女性も親切だったので、
少しの時間ならば我慢できると思った。
ラッキーにとって初めての体験なので、私はその店から少し離れたところで車を止めて見守ることにした。
待っている間の2時間はとても長く感じた。
お迎えの時間に行ってみると、ラッキーは既にトリミングが終わって、シャンプーとリンスの爽やかな香りと、
頭には赤いリボンも飾られていた。お茶目な顔で一段と可愛らしかった。
店の方にラッキーの様子を聞いてみると、「とてもおとなしく、いい子にしていましたよ。」 と言ってくれた。
ドライヤーも問題なかった様子だった。
梅雨に入って、我が家から2km程離れた田んぼに源氏蛍が生息している話を耳にした。
「ラッキー、今晩はホタルを見に行こう!」
ホタルが生息している所へ行く道は周囲が田畑で街灯も所々しかないため、真っ暗な田畑の道には、
蛇が路上で休んでいることもある。 そのため懐中電灯をもって、ゆっくりと向かうことにした。
ラッキーは道辺の匂いを嗅ぎながら、所々でマーキングをして進んだ。
ラッキーに話かけると、笑顔でこちらを向いて、まるで人の言葉を理解しているかのようだった。
暫くして、蛍のポイントに到着した。
「ラッキー、ホタルを探そう!」 と言って、周囲を歩いてみると、一匹、二匹と青い光を放って飛んでいる姿が
目に入った。
「 ラッキー、ホラ、ホラ、あれがホタルだよ! 」 ホタルに近寄って、暫らく、その幻想的な"光の舞"を一緒に眺めた。
その日見えた蛍はは二匹のみであった。
後日、同町内の南玉不動尊のそばにある池周辺には、もっと沢山の蛍が生息していると聞いたため、
ラッキーと訪れることにした。その場所までは片道約5kmあり、途中の道は狭く、交通量が多い道路脇を歩かねばならない。
夕暮れ前に出発して、狭い道路の出来るだけ右端を歩くことにした。 ラッキーのリードは短く持ち、
私の右側を歩かせた。ラッキーは時々リードを強く引っ張ることもあった。 その時は「ラッキー、ユックリね!」というと、
ラッキーはすぐに私の横についてくれた。
自動車が私たちのすぐそばをスピードを上げて通り過ぎた時は、ヒヤッとした。
ようやく交通量の多い道路を抜け、田んぼ道に入った。 地図を頼りに歩いていると、「南玉不動尊の滝入口」という
小さな看板が目に入った。(現在の道しるべには南玉池入口と記されている) その入り口から先は街灯もなく、
真っ暗な狭い道で、草木が覆い茂って、不気味な感じがした。
その道を進んで行くと、右手の暗闇の中に大きな南玉池が見えた。池周辺には沢山の蛍が飛びかわっていた。
地元でこんな沢山の蛍が見れるとは思っていなかった。
その先にある不動尊の滝へ通ずる道はより草木が覆い茂っている。 正直、夜私一人だったら、絶対にそこへは行かなかったと思う。
ラッキーと一緒だから大丈夫だった。 ラッキーは全く怖がっている様子はなかった。 私は時々背筋がゾッっとすることもあった。
不動尊境内に入ると、説明看板が立っており、明治時代の初期までは病を治すために滝に打たれ、
水行が行われていたと書いてあった。 それにしても周囲には人家も街灯もなく、懐中電灯を消すと、真っ暗闇で背筋がゾッとする
思いであった。 境内の下にある滝壺を見たかったがあまりにも不気味なとこなので引き返すことにした。
帰途に向かう途中、ラッキーにおやつと水を与え、来た道を戻って帰宅した時刻は午後9時を回っていた。
左の写真は、不動尊の滝壺で、右の写真は、滝(滝の出口は龍の形)
ラッキーは大型犬なので怖いものはないと思っていたが、夏になって一つ見つけた。 それは雷音だ。
雷が発生し、遠くの方で微かに聞こえる雷音に対しても、恐怖心から敏感に反応してしまう。
雷恐怖症である。 ハウスの中で眠っていたラッキーは雷の音と共に呼吸が荒くなり、体が震え、ハウスの周りを行ったり
来たりし始める。次第に雷雨になると、大変。 体中泥交じりになって、走り回ったり、母家の窓に向かって、
立ち上がってガリガリと爪でひっかこうとする。 その犬によって様々であるようだが、ラッキーの場合は、
恐怖や不快感から全身に負担を感じ、強い拒否反応、強いパニック状態に陥ってしまう。 犬が雷の音を怖がるのは本能である。
その理由の一つは、犬の聴力は人間の10倍~16倍で、遠くで聞こえている雷音でも犬にとってはとても大きな
恐ろしい音として聞こえるそうだ。 雷が鳴り始めたら大変! ラッキーを母家に入れ、雷が止むまで、
ずっと抱きしめてあげないといけないのだ。 少し離れようとすると、体を震わせながら、ラッキーは私のふところに
頭から潜り込んでくる。 昼夜は関係ない。 平日の夜中の雷は、寝不足になってしまうが、いたしかたない事だった。
ラッキーを我が家に迎えて4ヶ月が過ぎ、我が家での暮らしにもだいぶ慣れてきたようだ。
梅雨明けも間近となり、日差しが強くなってきた。 そのため、ハウス以外に日陰となる所は
ゆずの木の木陰だけであった。 犬は暑さに弱いので、ホームセンターへ行って、テラス屋根を注文した。
ハウスの周辺を屋根で覆うことが出来れば、雨天時や鋭い日差しの時でも、ハウスの外側で過ごすことが出来るからだ。
注文後、5日程でテラス屋根が届いたので、コンクリートで土台を作り、屋根を設置し、二日で工事が終わった。
私が工事をしている間、ラッキーは私が何をしているのか察知しているかのように、大人しく見守っていてくれた。
夏の暑い日差しの中、ラッキーは日当を除けて縁側の上や、ハウスの中で寝ている。 ラッキーを迎える前に作った
"Lucky's House"内部には風通しを考慮して、上部の前後に換気口が二つ、サイドにはステンレス製の網戸付き開閉式窓が作ってある。
しかし、茹だるような暑い日は、ラッキーも辛いと思う。 そこで家族皆で海水浴に行くことにした。
勿論、ラッキーも一緒である。我が家から車で約30分程走ると、九十九里海岸へ出られる。
車に乗り込んだラッキーはソワソワして、窓の外を見ていた。ラッキーにとって初めての海なので、
少々心配もあったが、その不安もつかの間だった。 駐車場へ到着するとラッキーは、すぐに海岸の方向へ私を引っ張って
いった。 ラッキーは海は怖くないようだった。 波打ち際に着くと、ラッキーはとてもはしゃいで、私と一緒に走り回った。
ラッキーは走るのが早く、私が引っ張られて、ついて行くのがやっとだった。 私は試しにリードを持ったまま浅瀬に
入ってみると、ラッキーも嬉しそうについて来た。 そうこうしているうちに、ラッキーはお得意な犬かき泳ぎを見せてくれた。
初めての海なのに、泳ぎが上手だった。 「ラッキー、グッド!」 長い時間は危険なので、少し泳いで、休むことにした。
海から上がる際は、全身を大きくブルブルさせて、水気を跳ね飛ばしていた。 砂浜でラッキーと休んでいると、
大勢の人がラッキーに声をかけてくれた。 その日は2時間ほど遊んで、温水シャワーを浴びて帰宅した。
8月になって、初めてラッキーは我が家でシャンプーをすることにした。 業者にやってもらうシャンプー&トリミングは とても奇麗になるが、ラッキーは大型犬なので費用もかさむ。 私が洗うので、上手くできるかわからないが、 とにかくチャレンジしてみた。 ラッキーを浴室に連れていき、犬用のシャンプー&リンスで洗っていると、 ラッキーはとても気持ちよさそうに立ったまま翻弄さていた。 「これなら私にも出来る!」 と思った瞬間、 長い毛のついた大きな身体を何回もブルブルと振るわせて、浴室全体がシャンプーの泡だらけになってしまった。 私も身体じゅうに浴びてしまった。 時々、身体を振るわせるので、シャンプーが終わるころには私もずぶ濡れになっていた。 シャンプーが終わってから、外へ連れて行き、バスタオルで水気をふき取って、ドライヤーで乾かそうとしたが、 私がドライヤーのスイッチを入れると怖がって怒るので、自然乾燥することにした。 ラッキーが嫌いな二つ目は、私が行うドライヤーのようだった。
夏の日中の散歩は避け、朝は午前6時半から散歩に出かけ、8時ごろには帰宅するようにした。 午後の散歩も、 夕暮れ時から出発するようにした。 日中の散歩は人でも暑いが、人間のアイレベル(目線)と 異なり、犬の目線は地面から30cm程度しか離れていない。 人のアイレベルで体感温度が摂氏32℃であるとすると、 イヌのアイレベルでは摂氏40℃以上に達するのだ。 焼け付いたアスファルト道路ではそれ以上になることもある。 そんな所を歩かせたら、ワンちゃんはぐったりして、 呼吸困難になることもあるのだ。 地表熱によって足にやけどを負う可能性も高い。
ラッキーが我が家に来てから、約8か月が経ち、今日は午後4時から動物病院で去勢手術を行うことになっている。
去勢手術は、健康面では前立腺の病気、会陰ヘルニヤなどの予防に効果があると言われている。行動や性格面でも攻撃性の
低下や性格が穏やかになり躾もしやすくなるそうだ。 とは言っても、痛い思いをさせ、暫く大好きな散歩へも行けなくなる訳だから、可哀想な
気がする。
ラッキーを車に乗せ、動物病院へ向かった。 いつも通り、ラッキーは喜んで車に乗り込んだ。
病院に着いたら、すぐに診療室に案内され、ラッキーを治療台の上に乗せた。ラッキーは傍にいる私にオテをするような仕草で、
自分に触れていて欲しいと意思表示をしていた。そうしているうちに、麻酔がきき始めた。
「ラッキー、すぐに迎えに来るからね!」
女医さんも、「 ラッキーは心配性なので、手術後は飼い主さんの元で看病された方がいいですよ。」と言ってくれた。
手術が終わって、診察室に入ると、ラッキーはベッドの上で横たえて、私の姿を見て起き上がろうとしたが、傷の痛みがあったため、
顔だけこちらを向けてくれた。
「 ラッキー、頑張ったね 」 「 治ったら沢山散歩に行こうね、ラッキー! 」
抜糸まで約一週間かかった。
去勢手術も無事終わり、ラッキーは元気に散歩が出来るようになった。 この日は天気も良く、町の産業文化祭が行われているので、
ラッキーと一緒に見に行くことにした。
自宅から約3km離れたキララの国という所で行われている。キララの国というのは住宅街の総称である。 そこへ向かうには、田んぼ道と広い歩道の
ある大通りを通るので、 危険な個所はほとんどない。
いつものように、水筒とおやつを持って、出発した。 ラッキーは散歩に出かけると、いつも決まったところで排便をする。
習慣になってしまったようだ。 勿論、シャベルで排泄物を取り、ビニール袋に入れて持ち帰ることにしていた。
一緒に散歩していると、ラッキーは時々私の顔を見上げて、笑みを浮かべてきた。温厚で賢い子である。 そんなラッキーを見ていると、
なぜか私も幸せな気持ちになってきた。 私が何かが原因で落ち込んでいる時でも、ラッキーは優しくそばに寄り添って、癒してくれた。
キララの国の中にキラ屋というコンビニがある。(今はもうない) 以前そこでラッキーにメ・鴻塔pンを買って食べさせたことがあった。
ラッキーはそのことを覚えていたので、そのコンビニへ向かって行こうとした。 「 ラッキー、覚えていたんだね・・・今買ってくるから、お座りして待っていて・・・ 」
と言って、キラ屋の傍のベンチにリードを結んだ。
私が店から出てくると、ラッキーはお座りしたまま、前足をもじもじさせて、口からよだれを垂らしながら待っていた。 「 ラッキー、お座り・・・、マテ・・・、ヨシ 」
と声をかけると、ラッキーは大きな口一杯にパンを含み、一気に飲み込んでしまった。 その間、約15秒!豪快な食べっぷりだった。 私もコーヒーを
一杯飲んだ。 キララの国への散歩は、メロンパンとコヒーが定番になっていた。
少し休憩をとってから会場へ向かった。
産業文化祭会場に着くと、沢山の出店が立ち並んでおり、大勢の人で賑わっていた。ラッキーのリードは短く握り、会場内に足を進めた。
会場に入るや否や、テントの中にいる店の人が近寄ってきて、「可愛いワンちゃんだね。これを食べさせてあげな!」と言って、乾燥させたイワシを
袋一杯に詰め込んで私に差し出してくれた。お礼を言って頂いた。 その後、ラッキーにはその魚を少し与えた。 帰途に向かう時も、ラッキー
はそのイワシを食べたくて、何回もせがんできた。
ある冬の朝、外は深く雪化粧していた。 ハウスの中のラッキーを見ると、毛布の上の湯たんぽを抱いていた。
私の姿を見ると、身体を振りながら、ハウスの外へ出てきた。 私たち人間にとって、とても寒い朝であったが、
ラッキーは元気一杯な様子で、「 お父さん、朝ご飯を食べたら、散歩にいこうよ!? 」と言っているようだった。
朝食を済ませてから、散歩に出かけ、ラッキーは沢山積った新雪の中をどんどん飛び跳ねて進んだ。
いつもの散歩道が別世界の様だった。 小高い山のコースに行き、私は小さなソリで山の上から何回も滑って降りた。 ラッキーも
一緒に走ったり、転んだりして滅多に味わえない銀世界を楽しんだ。 家から散歩に出かける時はとても寒かったが、
ラッキーと一緒に遊んでいるうちに身体がほてってきた。
朝晩の散歩は、雨や雪でも余程のことがない限り、行くことにしていた。 正直、私が仕事で疲れて、
今日の散歩は行きたくないと思うこともあった。 しかし、帰宅して庭で優しい表情でお出迎えしてくれるラッキーの
顔を見ると、私は急いで着替えて、ラッキーと散歩に出かけることが多かった。 おそらくラッキーに限らず、犬は人間の
感情に反応する能力を持っているようだ。 つまり、人をよく観察し、その人が今何を考えているかを、いち早く
察知する能力があるのだ。 私が悲しんでいたり疲れている時、ラッキーは顔色を窺って、いつもと様子が違うと、
気になって寄り添って優しく癒してくれるのだ。 散歩に行って帰ると、私は仕事の疲れがどこかに消えてしまったような
気持ちになることが多かった。 疲れている故に、ラッキーと散歩に出かけることが、私のアニマルセラピー効果に繋がった気がする。
動物の幸せを結ぶネットワークの I さんからラッキーを里親としてお預かりして、一年が過ぎた。
ラッキーは私たちにとって、かけがいのない家族の一員となっていた。 ラッキーをお世話いただいた I さんに
ラッキーの元気な様子を見せたいと思い、逢いに行くことにした。
我が家から高速道路を使って約2時間。埼玉県川口市にある。私の妻の実家が川口市にあるので、そこへ車を置いて、
I さん宅へ向かった。 電話のアポをとらないで、突然の訪問のため、少しの時間しかお会いできなかったが、
I さんはとても懐かしそうにラッキーの傍に寄り添ってくれた。
「 もう私のことは覚えていないみたいです。 」と I さんが複雑な心境で仰っていたが、
犬は忠誠心が強い動物なので、ラッキーは I さんのことをしっかりと覚えている感じがした。
I さんの家の近くに、元ラッキーを飼っていた家があるので、ラッキーと一緒にその家のそばを通り過ぎてみた。
ラッキーはその家の前を通った時、立ち止まりはしなかったが、庭先をよく見て、遠い過去のことを思い出しながら通り過ぎていった。
犬は群れで生きる動物で、その群れには必ず首長というリーダーが存在する。 その群れの構成員は首長に対して 絶対的服従を要求される。 犬がある家族の一員として迎えられた場合、犬にとってはその家族の構成員という群れに 帰属したことになる。 犬はその家族の構成員に対してランク付けを行い、その構成員のリーダーは誰かを見極めようと するのである。 もし、その犬にリーダー的存在がいなければ、その犬自身がリーダーであると認識してしまうのである。 そうなったら大変! 人の指示や命令に対して従わなくなってしまうのだ。 犬が飼い主に噛みつくとか、 吠えるという行動は、状況によっても異なるが、犬が飼い主より上であると認識している可能性もある。 犬は主従の関係で行動し、規則正しい生活をするのが本能である。 犬が異質の人間達のリーダーとなってしまうと、 犬にとっては膨大なストレスを感じてしまうことになる。 家族の一員として育てる場合、、 愛犬に主従関係をしっかりと教え、その従属関係を保ち続けることが、人間や犬にとって一番の幸せであると思われる。 我が家のラッキーも、あどけない天真爛漫な表情をしているが、私たち家族のことを、実によく観察しているようだった。
今までラッキーのシャンプーはお店に連れて行ったり、家で洗ったりしたが、千葉市土気町にドッグランが出来たのを知った。
そこは、ドッグランの他に温水シャワーでシャンプーや、乾燥室の設備もあり、料金も手頃であった。
「 ラッキー、車でシャンプーに行こう! 」
車の中では、危険防止のため、ラッキーに胴輪を装着し、後部座席に座らせた。 走行中、後部座席の窓を少し開けておくと、
ラッキーは物珍しそうに車窓を見ていた。
ドッグランに到着すると、先客がいなかったので、すぐにシャワー室へ向かうことができた。 ラッキーはタブの中にすぐに入り込んで、
温水シャワーでシャンプーを始めた。 とても気持ちよさそうだった。 ラッキーの右半身を洗っていると、顔を左に向け、
「 こっち側も洗って・・・ 」と言っているようだった。
ラッキーの耳は大きく、垂れ下がっているので、耳ダレも多い。 耳の内側もきれいにふき取った。 ラッキーはシャンプーが大好きだった。
シャンプーの後、乾燥室へ入るのはやや抵抗があったようだが、私が傍についていれば、何とか15分ぐらいは我慢できた。
「 奇麗になったね、ラッキー 」
私の仕事の帰りが遅くなる時は、必ず家族がラッキーを散歩に連れて行ってくれた。 家族の話によると、
散歩中、ラッキーは自宅の方ばかり気にして、落ち着かない様子だと言っていた。
家族がラッキーを散歩しているときに私の車が自宅付近に近づくと、ラッキーは自宅へ向けて、
リードを引っ張って走って帰ってくるそうだ。 ラッキーは私の存在をかなり離れたところからでも分かるらしい。
そして私を見た瞬間、ラッキーは私に飛びついて、「 お父さん、散歩に行こうよ! 」とせがんでくる。 本当はそんな時、私が一緒に散歩に連れて行かない方が良いのかもしれないが、
愛らしいラッキーの顔を見ていると、つい行ってしまった。
犬の聴覚は人間の10倍から16倍と言われている。人間は20Hz~20,000Hzまで聴き取ることが出来るのに対して、
犬は40Hz~60,000Hzまでの高周波音も聞き取ることが可能である。 その代表的な例には犬笛がある。
また、騒音などの様々な音が交じり合っていても、必要な音を聴き分けることが出来る。
そして音が聞こえる方向を判断する能力は人間が16方向なのに対して、犬は32方向から聴き分けることができる。
人間が耳では聴くことのできない音や、多方向の音も分かるのである。 それにも増して、犬の臭いをかぎ分ける能力(嗅覚)は、
人間の約100万倍もある。
そういう鋭い感覚を持っているため、ラッキーは自宅付近に家族が帰ってくると、
誰が帰ってきたのか見なくても分かるらしい。きっと、私の車はディーゼル車だったので、
その独特な音をラッキーは聞き分ける能力があったのではないだろうか?
清々しい秋の休日のある日、私はラッキーと我が家から1Okm離れた千葉市の
昭和の森へロングコースの散歩に行くことにした。ラッキーの朝食を済ませ、リュックサックの中には、水、おやつやお弁当を
入れて出発した。 なるべく交通量の少ない道を選んだが、途中どうしても大網街道のかなり急こう配の坂を上らねばならない。
昭和の森の標高は海抜100mで、大網白里町の我が家付近は海抜20mで、約80m上がるために長い坂を上っていくことになる。
「 さア、ラッキー散歩に行こう! 」
いつも通る田んぼ道を抜けていった。 ラッキーは道草しながら、周囲をキョロキョロして進んだ。 散歩中、道端に
落ちているティシュペーパーは素早く口に入れてしまうので要注意であった。 散歩途中には小川が流れていて、そこには
紅タナゴが生息している。 そこから雑木林の中に入った。 木々は紅葉真っ盛りで、木漏れ日が時々まぶしく感じた。
いつもの事ながら、ラッキーと一緒に歩いていると、あっという間に大網街道の急こう配の上り坂に着いた。
ラッキーとすこし休憩をとった。 ラッキーは食べ物には目がない。 おやつを与える時は、必ずお座りをさせて、
「 マテ・・・ヨシ 」と声をかけて食べさせた。 食べ物を目の前にして、許しがでるまでのラッキーの表情は、今でも忘れられない。
休憩が終わって、出発。 上り坂の大網街道は道路幅が狭く、周辺は樹木や竹藪が覆い茂っていて、見通しも悪い道路である。
ラッキーを右側に付け、リードは短く持って進んだ。 時々ラッキーが先に行こうとするが、「 ラッキー、ゆっくり・・・ 」と
声をかけると、私の横についてくれた。 その狭い街道で、大型の車が側近を通ると怖かった。 約20分ぐらいで、昭和の森入口に到着した。
昭和の森には大きな駐車場がいくつかあり、中はとても広い芝生の公園と、アスレチック、貸し自転車、大きな池、菖蒲園などがある。
年に一回は、園内で国際マラソンも行われている。 歩いて公園内を一周すると1時間以上かかり,休日は多くの家族連れで賑わうスポットである。
この日は、人の少ない広場でラッキーとプラスチック製のフイスビー(円盤)で遊んだ。 広い芝生で、私が円盤を投げると、ラッキーはそれを追いかけ、
銜えてそれを私の元へ持ってきた。
しかし、私が「 ラッキー、ちょうだい! 」と言っても渡そうとしなかった。 むしろそのフイスビーを取ろうとすると、
嫌がっていた。 何回も行ったが同じ結果だった。 そこでラッキーがそのフイスビーを銜えて持ってきたときに小さなおやつを見せると、すぐにそれを
私に渡してくれた。 「 ラッキー、お座り・・・、それをちょうだい・・・、よし、グッド・・・ 」 その習慣を繰り返しているうちに、条件反射で
おやつ・ェなくても私にフイスビーを渡してくれるようになった。その後は、ラッキーと一緒にランチを食べて、公園内を抜けて帰途に向かった。
帰りのコースは来た道とは異なり、やや距離は長いが、大網の小中池を経由する道を選んだ。 昭和の森の中から狭い交通量の
ほとんどない急な坂道を下って、30分程度で小中池に到着した。 小中池周辺は県立九十九里自然公園に指定されており、
千葉市の昭和の森に隣接していて、早春の桜(河津桜)の美しい景観を楽しむことができる。 池の下側には子供たちの遊び場もある。
坂道を登ると、大きな池が見えた。 絶景の景色である。 湖畔でラッキーと休憩をとった。 池の水面から大きな鯉が沢山泳いでいるのが見えた。
二人とも、やや歩き疲れたので芝の上で横たえた。
その日の散歩は約6時間かかった。 自宅へ戻ってから、私とラッキーは午後の深い眠りについた。
雨の日の散歩は、私は傘をさしたり、雨合羽を着用したが、ラッキーは雨で身体がびしょ濡れになり、 足元も汚れてしまうため、ラッキー用のカッパを作ることにした。 市販の良品もあるが、ラッキーにフィットした カッパを薄いテントの生地を使って作ることにした。 型紙を作り、ミシン縫い、一日で出来上がった。 早速、ラッキーに試着させてみた。嫌がることなく着てくれた。 何度か雨天の日の散歩を行って、修正を加え完成した。 ラッキーの足元はともかく、胴体は濡れずに済むようになった。
ラッキーを迎えて三年目、私にとってラッキーは欠かすことのできない存在となっていた。 以前、ラッキーに
一度噛まれたこともあったが、今思うとそれが嘘のようだ。 むしろ、ラッキーに噛まれた左腕の歯跡は
私とラッキーの大切なシンボルとなっている。 ラッキーは私の大切なパートナーなのだ。
ラッキーは縁側の上で昼寝をするのが大好きであったが、その縁側が大部老朽化してきた為、ラッキーのハウスも一緒に
乗せられるウッドデッキを作ることにした。 冬季になるとハウスに北風が吹き込むため、ウッドデッキの北西側は窓付きの塀を
設けることにした。 ホームセンターで材料を買い求めて着工した。 ウッドデッキは地面から高さ40cmあるので、
幅の広い踏み台も作った。 制作中、ラッキーは大人しくしていた。 2週間程で完成した。
夏は北西側の窓を開けると、風通しが良くなり、冬は風をかなり遮ることができたので、おそらくラッキーは快適に過ごせたと思う。
ある春の日のこと、ラッキーと散歩から帰る途中、自宅から数十メートル離れた
道路脇の草むらに何か白いものが動いていた。すかさずラッキーが傍に近寄ってみると、かすれた声で泣いている白い子猫がいた。
その子猫は生後間もなく、人の手のひらに乗ってしまう程小さな可愛い雌猫だった。 ラッキーが近づいても、その猫は怖がらず、
泣き疲れた声で、ラッキーに近づいてきた。 ラッキーはその子猫の顔を優しくなめて・A癒していた。
この周辺に猫を飼っている家はなく、人間に捨てられてしまった猫かもしれないと思った。 放っておいたら死んでしまいそうな程、
痩せていた。 そっと抱き上げると、寂しさと空腹のため、震えているのがわかった。 その猫をラッキーと一緒に自宅へ連れて帰った。
妻がミルクを温め、哺乳瓶でその猫に与えると、必死になって飲んでいた。 何も食べていなかった様子だった。
暫くして、妻に抱かれてタオルの中で眠ってしまった。
その後、その猫は、我が家で育てることになった。 「 リリ 」と名付けた。
ラッキーはリリの命の恩人である。
猫好きな妻が昼夜リリの世話をしてくれた。
その当時、我が家ではラッキーとリリの他に猫を二匹飼っており、
一匹は「ミミ」(雌)、もう一匹は「ララ」(雄)で、ペットは4匹になった。
右上の写真がその当時のリリちゃん、左下の写真は、16歳で逝ったリリちゃんの遺骨と遺影です。
リリちゃんは逝去後、四十九日でラッキーと同じ墓に納骨しました。
ラッキーと一緒の散歩で、私から遠く離れてしまうことはないが、緊急時のために犬笛を購入した。
犬笛は吹き方によって、周波数が変わるため、その犬が一番反応する吹き方を試して、同調する吹き方を定着しなければならない。
人の可聴周波数は20Hz~20,000Hz程度だが、犬は40Hz~60,000Hzまで聴こえる。
勿論、犬笛を吹いても、人間の聴力では全く聴こえない。
早速、ラッキーに犬笛を試してみた。 吹き方を色々と変えて、ラッキーが一番反応する吹き方を探ってみた。
すると、眠っていたラッキーは、やや強めに短く吹くと、顔を持ち上げて私の方を見上げた。
「 この吹き方が、ラッキーにとって最適なんだ!! 」 と思い、その吹き方を定着することにした。 庭でラッキーの
リードを外して、少し離れたところから笛を吹くと、私の方を見るが、それ以上の反応は示さなかった。
そこで、笛を吹いてから、「 ラッキー、カモン! 」と言うとすぐに私の傍にやって来た。 その時、すかさずラッキーを褒めて、
少量のおやつを与えてみた。 その習慣を何日か行ってみたら、笛を吹くだけで、私のそばに来ることがでるようになった。
そして、5回笛を吹いて、4回のおやつというように徐々におやつを与える回数を減らしてみた。 すると、
おやつを与えなくても笛の音だけで私の傍に来て、お座りが出来るようになった。
犬笛は約2km離れていても、犬には聴こえるらしい。 以後、散歩の時は犬笛を持参することにした。 今後、その笛を
使うことがあるかどうかは分からないが、万が一、ラッキーが行方不明になった時の緊急用として使うことが
出来るかもしれない。
ラッキーは我が家では欠かすことのできない家族の一員である。 優しく、おおらかな性格で、大の人気者である。 しかし、そんなラッキーの後ろ脚に異常が起き、次第に立ち上がって歩くことが出来なくなってしまった。 動物病院の診断では、心臓病が原因で、老化現象もあるため、治療して歩けるようになるのは困難ということだった。 そうなると、ラッキーの大好きな散歩にも行けないどころか、トイレ等、普段の生活にも大きな支障が出てしまう。
「 ラッキーは、我が家に来て、まだ5年しか経っていないのに・・・・ 」
「 あんなに散歩が好きだったのに・・・・ 」
ラッキーの腰の具合が悪くなってから、家の中で生活することにしたが、平日の昼間はラッキーは一人で 寂しく横たえているしかなかった。 勿論、子供たちが学校から帰ってくるとラッキーの面倒をみてくれた。 夕方、私が仕事から帰宅すると、ラッキーは喜んで立ち上がろうとするが、困難なため、 「 そばに来て、お父さん! 」と前足をもじもじさせながら、せがんでくる。 私はすぐにラッキーの身体を抱きしめた。 一緒に横になっていると、愛らしい表情を浮かべながら、 私の顔をペロペロと舐めてくれた。 ラッキーは家族と一体感を感じていることが、一番の幸せなのだ。 一緒に散歩は行けなくなってしまったが、ラッキーに少しでも安心感を与えてあげたかったので、 夜はラッキーのそばで一緒に寝ることにした。 昼夜ラッキーの下腹部の下にはペットシートを敷いておいたが、 ラッキーは外でないと排便が出来なかった。 毎朝毎晩、ラッキーを抱いて庭へ連れて行き、 身体を支えてあげると、排便が出来た。 病になって約一か月ぐらいは、ラッキーの食慾は以前と変わらず 旺盛だったが、しだいに食の量も減ってきた。 私はラッキーのそばに居てあげることしかできない自分が情けなかった。 夜になり床につくと、ラッキーとの今までの想い出が走馬燈のように現れる日々が続いた。
ラッキーにとって、家の中で横たえている日々が2ヶ月続き、徐々にラッキーの身体が衰弱しているのが感じられた。
平成15年2月25日の夜、いつもとは違い、ラッキーの顔色も良く、にこやかな表情であった。
私はラッキーのそばで、いつも通り眠りについた。翌早朝、私は何か動いている気配を感じたので、目を覚まして
時計を見ると午前1時55分だった。ふと、ラッキーを見ると、私から1メートル程離れたところにラッキーが立ち上がっていた。
「ラッキー、立てるようになったんだ・・・・」と声をかけると、ラッキーは重い足をゆっくりと引きずりながら、
一歩・・・、二歩・・・と私を見つめながら近づこうとしている。
そして、畳に大きな音をたてて倒れた。私はすぐにラッキーの身体を抱きしめたが、奇麗な目を開けたまま、
呼吸も停止していた。脈拍もなかった。
「ラッキー、ありがとう・・・・」
私は愛らしい大きなラッキーの目をそっと閉じ、ガーゼに水を含ませて、口の周りをそっとふき取った。
そのあとは、朝までラッキーを抱きしめていた。
朝方5時ごろには、ラッキーの身体は冷たく感じられた。 私は、ラッキーがいない生活なんて、考えられなかった。
ラッキーは生後、11歳89日で永眠した。 (平成15年2月26日午前2時05分)
翌朝になって、妻や子供たちもそっと部屋に入り、目に涙を一杯潤ませながら、声をかけて優しく撫でてくれた。
2月26日の朝は、快晴で澄みきった青空であった。
ラッキーは既に冷たく、硬直していた。 その日は、私は仕事を休んで、東金市にある聖山動物霊園で、
午前11時からラッキーの葬儀を行うことにした。 その日の朝は、妻は仕事へ、子供達は
学校へ送り出して、私は葬儀の準備をしていた。 すると、30分程経ってから、次男が学校へ向かう途中で引き返してきた。
「 お父さん、ボクもラッキーを見送りたい! 」と言てきた。
そのあと、また30分程たつと、長男の通う学校の担任の先生から、「お宅のご子息が、かなり具合が悪そうなので、帰宅させます」
という連絡が入った。 そのあと長男は学校から息を切らせながら走って帰ってきたらしい。
「ラッキーは家族の一員として暮らしてきたのだから・・・。」私は内心とても嬉しかった。
子供たちの手をかりて、ラッキーを毛布にくるんで、車に乗せて葬儀場へ向かった。 自宅から15分程で動物霊園に着いた。告別式の最中、時々目が涙で一杯になった。 子供達も同様だった。 葬儀後は立会火葬を行った。 火葬はラッキーの体重が40キロあったため、約2時間程かかった。 私は子供たちと一緒にラッキーの遺骨を・ミとつ、ひとつ骨壺に入れた。 ラッキーの骨はとても奇麗だった。 また、目に涙が 溢れてきた。 私は少しでもラッキーの傍にいたかったので、住職に頼んで四十九日まで、ラッキーの遺骨を自宅へ持ち帰る許可を得た。
自宅に戻り、ラッキーと私が過ごした部屋に遺骨と花を添えた。 庭に出てウッドデッキ上のハウスの中を覗いてみても、ラッキーが残した毛布やリード等が残っているのみで、 姿はどこにも見当たらない。
「 お父さん、散歩に行こう! 」と言って、私のそばに寄り添ってきそうな気配もした。
ハウスの周りには花壇を添えた。何とも、空しかった。
ラッキーが亡くなって、「ラッキーは本当に幸せだったんだろうか?」 「もっとやってあげられることがあったのに・・・」 と自問自答する日々が続いた。 家の周囲にはラッキーとの想い出が沢山転がっている。
ラッキーが亡くなってから数日後の朝、私は外のウッドデッキの上でいつものように煙草を吸って、
家の中に入ってみると、突然、家の天井が回り始め倒れた。 数十分で回復したが、かかりつけの内科医に診てもらったら、
ペットロスが原因のメニエル病と診断された。 「 これまで、私はそんな症状は一度もなかったのに・・・? 」
医師に薬を処方され飲み続けたが、その後、何回となくその症状が続いた。
私にとって、ラッキーと永遠の別れなんて、考えられなかった。
その後、お世話になった動物ボランティアの I さんに、ラッキーが亡くなったことと、 私がペットロスによるメニエル病のことを妻が電話で伝えた。
するとその後すぐに、動物ボランティアの I さんから一通の手紙が届いた。 手紙の中には、「虹の橋」という詩が同封されていた。その詩は昨年、 I さんの愛犬ベアーが十五歳で突然逝って、 落ち込んでいる時に出会った詩と書かれていた。その詩を紹介します。
この詩はアメリカ・インディアンの古い伝承に基づいて作られたといわれている。 この詩"Rainbow Bridge" は作者不詳であるが、
現在では、ネットの世界を通じて伝えられ続けています。 この詩を読んで、私は希望が湧いてきました。
いつか私がこの世を去るときは、虹の橋でラッキーとの再会の日が訪れるのである。
ラッキーとは、永遠の別れでなく、また、逢えるのです。 そのハッピーな日を楽しみに・・・
ラッキーの四十九日は4月15日だったが、少し早目の4月12日(土)の午後から個別法要を行ってもらうことにした。 この時は家族皆で参列した。法要の後、動物霊園の合同墓地に埋葬してもらった。
ラッキーが逝ってから、ラッキーの墓に向かって必ずお願いすることがある。
「 ラッキー、夢でいいから、一緒に散歩に行こう・・・ 」
と手を合わせてお願いする。時々、夜寝る前にも、仏壇のラッキーの遺影に向かって「 今晩、夢の中で逢おう・・・ 」
しかし、何故か一度も私の夢に出てきたことがない。
我が家に来たラッキーが本当に幸せであったかどうかは、正直言って私にはわからない。
しかし、ラッキーと一緒に過ごした時間は、私にとって、このうえない幸せだったことは確かだ。
ラッキーが逝ってから一年半が過ぎ去ったある夏の日、我が家に一匹の猫が遊びに来るようになった。
その猫は人間に飼われた様子がなく、野生化していた。 黒色と茶色が交じり合った小柄な雌猫だった。
庭に遊びに来た時、私が傍に近づこうとすると、逃げるどころではなく、こちらを向いて逆毛を立てて、威嚇してきた。
その後も、その猫は我が家に何度も現れた。 とてもお腹をすかしている様子だったので、ラッキーが愛用していた茶碗に
猫用の缶詰を入れ、私はその場から引き下がると、警戒しながら恐る恐ると茶碗に近づき、ペロッと食べてしまった。
その後も毎日のようにその猫は我が家に食事をとりに来たが、数週間経っても、一向に私に慣れず、警戒心をむき出しにしていた。
その猫は毎日決まった時間に我が家を訪れるので、私はいつしかその猫と逢うのが楽しみになった。 私はその猫を
「トラ」と呼ぶようになった。 私はトラと仲良しになりたかったので、いろいろな手段でその猫に近づこうとしたが、
野生化しているため、なかなか歩み寄ってくれなかった。 トラは小さいときに、人間に捨てられたのかもしれない。
トラと出逢って二か月が経ったころ、ようやく私のそばに近づいて、すすり寄ってくれるようになった。 トラは私のことを
認めてくれたようだった。 一旦慣れると、私とトラの距離が急速に近くなった。 ついに、トラは私のそばで腹ばいになって
お腹を撫でさせてくれるようになった。
その数日後の朝、いつものようにトラが朝ご飯を食べに来た。 驚いたことに、トラの後に続いて、四匹の子猫が一列になって歩み寄ってきたのだ。
私はその光景を見て、自分の目を疑った。 「 まさか・・・トラの子供・・・? 」
子猫たちは生後数か月ぐらいであった。 子猫たちの先頭は、黒色のショートヘアーのオス、二匹目は薄茶色で左前足のつま先が白いオス、
三匹目は薄茶色で尻尾の先端が白いオス、最後にピュアーブラックのやや小さめなメス猫であった。
その当時我が家には、猫二匹を室内で飼っており、トラも我が家に向かい入れようと思っていたが、
トラの子供達も合わせると七匹になってしまう。 トラが我が家に来たのは、子猫たちに食事を与えるためだった様だ。 先頭を歩いていた
黒色のショートヘアーの猫と、二番目に歩いてきた左足先端が白い薄茶の猫はすぐに私に懐いて、撫でさせてくれたり、猫じゃらしで
遊んだ。 他の二匹も徐々に一緒にじゃれるようになった。
子猫たちに名前がないと不便なので、先頭を歩いてきた黒色のショートヘアーは「チビ」、
二番目の薄茶色の左足が白いのは「マイマイ」、三番目の薄茶色で尻尾の先端が白いのは「マイケル」、最後のピュアーブラックの雌猫は
「クー」と名付けた。 それから毎日、お母さん猫と子猫たちは我が家を頻繁に訪れるようになって、住みつくようになった。
9月になって、トラの避妊手術を行った。 四匹の猫たちもある程度成長したら、去勢、避妊手術をすることにした。 五匹の猫を
外で飼うことになると排便や侵入等の問題で近所の方に迷惑をかけてしまうことになる。 その為、みんな家の中で過ごさせることにした。
子猫たちは屋内の生活に支障はなかったが、母親のトラちゃんは、まだ野生性が残っているため、屋内の生活には馴染めなかったので、
屋外で飼うことにした。 外からでも、トラが子猫たちを常に見守れるようにしておいた。 トラは屋外の生活の方が好きなようだった。
時々、私が玄関から外に出ると、玄関先に鳥や蛇などの死骸を置いていくこともあり、気持ちの良いものではないが、
トラが私たちにお礼の気持ちを表して置いて行ったものだと分かった。
その年の師走になって、突然、トラの姿が見えなくなってしまった。 今まで数日間の旅に出たことはあったが、十日が過ぎても
戻ってこなかった。 翌年になっても、どこにもトラの姿は見えなかった。 「 せっかく仲良しになれたのに・・・ 」 私は何日もかけて
家の周囲や、家から半径2km以内の場所を探し回ったが、どこにも見当たらなかった。 「 愛猫は、死を覚悟したとき、飼い主の元を
離れてい く」 と言われているが、もしそうならば、せめて遺体を回収して、ラッキーと同じお墓に入れてあげたいと思い、雑木林や
小高い山周辺も探してみた。 しかし、トラの遺体はどこにも見つからなかった。
そんな一月下旬のある夜、私の夢の中に、ラッキーが現れた。その夢によると、私が大きな倉庫内で作業をしていた時、ふと、倉庫の
入口付近を見てみると、元気な顔をしたラッキーが私の方へ向かって走ってきた。 ラッキーが先頭に、トラちゃん(愛猫)がその後をついてこちらへ向かってきた。
私はその姿を見るや否や、走って二人に近づき、思わずラッキーとトラを抱きしめ、久しい再会で涙一杯になった。ラ ッキーとトラのキスの雨。
その時、私はあまりに嬉しすぎて、床から起き上がってしまった。 勿論、私の傍には誰もいなかった。
「 夢だったのか? 」 「 覚めないでくれれば良かったのに… 」その後、必死にその夢の続きを見ようと思ったが、熟睡してしまった。
翌朝になってもその夢は、鮮明に覚えていた。 「 きっと、ラッキーが、トラはもう一緒にいるから心配いらないよ。いつか虹の麓で待っているよ! 」
と私に教えてくれたのかもしれないと思うようになった。
「 ラッキー、ありがとう 」
ラッキーが逝って14年経つが、私の夢に出てきてくれたのは、その時一回だけである。 私の左腕の大切なシンボル(ラッキーの歯型)も
今では、ほとんど消えてしまった。
私がいつかこの世を去るときは、ラッキー、トラ、そして我が家で一緒に生活してきた他の猫ちゃん達と逢えるのである。
私は、今すぐは虹の麓へ行くことは出来ないが、やがて天命が下った時、その日は私にとって、とてもハッピーな日なのである。
その再会の日を楽しみに、今の生活を充実させて、最期を迎えたい。
私は、絵心はほとんどないが、アクリル絵の具を使って描いてみました。 数枚、失敗してやっとの思いで描けました。
現在は我が家の壁に飾ってあるが、数年に一度の割合で、額から外して、描き加えることがあるため、完成したとは言えません。
{ ラッキーの絵の首元が白くなっているのは、撮影の時のフラッシュの反射です。 }
お粗末様でした。
知人宅で大きな杉の木を切り倒したと聞いたので、数本の丸太を分けていただきました。
その小さな方の丸太をチエンソーでだいたいの型に加工して、後は、ひたすらノミと金槌で加工しました。
あまり、ラッキーには似てないですね。 愛ネコのトラも作りました。(左) あと、1mの長さの丸太は、以前私が海で釣ったスズキを型どって
作ってみました。 それぞれアクリル塗装もしてみました。
ラッキーが逝ってから、今年で13年が過ぎ去りましたが、ラッキーが私の夢に出てきたのは、今だに
トラを連れてきた時の一回だけです。
以前から、ラッキーと一緒に暮らした日々のことをノートに書きたいと思っていましたが、なかなかペンをとることが
出来ませんでした。 私は現在62歳ですが、ラッキーと過ごした楽しい想い出をいつまでも心の中に留めておくつもりです。
しかし、今後自分の意志だけでは、留めることが出来なくなる可能性もあると思い、急いでペンをとり、
このページをアップロードしました。
私にとって決して忘れてはならない想い出・・・・虹の橋で再会を・・・・!!
ありがとうございました。
我が家の猫のページ、房総の海釣り情報、電子工作のページをアップロード致しました。趣味のページからお入り下さい。
メール投稿欄を下に設けました。宜しかったら、お便りをください!
最終更新日:02/23/2022 13:07:242017年2月12日 |
2017年2月17日 |
2017年2月19日 |
2017年11月1日 | 2017年11月2日 | 2017年11月2日 | 2017年11月3日 |
2021年12月10日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
HP公開 |
再校正 |
メール投稿欄設置 |
Index.HTML 趣味のページ開設 | 猫のページ開設 | 房総の海釣り情報開設 | 電子工作のページ開設 |
アマチュア無線アンテナページ開設 |
Copyright (c) 2017 lucky.html All Right Reserved.